Prinz des Dornes



「いい加減こちらを向きなさい」
「え、王子!?」
 低い声に呼ばれ振り返ると、ベッドに腰掛け脚を組み、左手を右肘の下に置き右手を顎に添えた王子がいた。どこか嗜虐的に輝くオレンジの瞳をすっと細めて立ち上がる。
「まったく、私が現われたことにも気付かないとは…私以外のものに心奪われるな、と私は以前言いましたね?」
「そ、それは、その…!
 お、王子はどうやって来たの…?ほらドアの開く音もしなかったし、そもそも物音一つしなかったし、不思議だな〜って」
「誤魔化そうとしても無駄です」
 一片の慈悲もなく冷たく切り捨て、一歩踏み出す。ヘンリエッタは自分の本能―防衛本能や生存本能と呼ばれるものだ―に従い、一歩下がった。
 元々嗜虐的な嗜好の持ち主だ。そんな彼にかかれば好きな女の子をついいじめてしまうという微笑ましい行動も、好いているからこそわざと虐めて楽しむという中々洒落にならない行動へと変わる。
「うぅ…」
「ふふ…まぁ、いいでしょう。それは一旦置いてあげましょう。…楽しみは後に取っておくものですしね。
 別れの日に貴方に贈ったものがあるでしょう?」
「あの茨の苗ね…あら?」
 いばらの王子から渡された鉢植えを、ベッドサイドに置いて大切に育てていた。枯らさないように大きくなるようにと、一生懸命水をやって世話をして、今朝咲いたばかりだ。一輪の美しい薔薇。のはずだったが、ベッドサイドに視線をやれば鉢のみで、茨も花も影も形もない。
「いささか繊細さに欠ける貴方のことですから枯らしてしまうのでは…と危惧していましたが。どうにか今日まで生き延びていたようですね。おかげで私はここに現われることが出来ました。
 …どういう意味か理解できていますか?」
「えーと、つまり王子はあの茨を元にして実体化してるってこと?」
「ええ、その通りです。残念ながら本体が来ることは出来ませんが…
 こうして会えただけでも貴方は満足でしょう?」
 形だけ問いかけておきながらも、ほとんどそうと決めつけている口調にほんの少し悲しくなった。
 ヘンリエッタが逃れるよりも素早く、距離を詰めたいばらの王子がその頬に手を伸ばす。手袋の肌触りと細い優美な指の感覚が伝わるけれど、温もりは伝わってこない。
「ねぇ、王子。私は本当のあなたに会いたいよ」
 気付けば言葉は勝手に口から出ていた。茨を媒介に実体化した王子は、その手足も指も瞳も本物そのままだ。ただ温もりだけがない。今だって、王子がくれる言葉も、向けられる眼差しだって本物と変わらないことを知っている。なのにたったそれだけのことで寂しいと思って、せっかく会いに来てくれた王子の心を踏みにじるなんて、単なる我がままでしかない。それでも心はどこまでも本当の王子に会いたい、と求める。
「…そうですか。貴方も随分と贅沢を言うようになりましたね。しつけが必要なようです」
 無機質な指に顎を捕らわれて瞳を射貫かれる。苛立ちからか冷たく細められた瞳に映った自分の顔は、泣きそうに顔を歪ませていた。
 不意に王子の目が和らいだ。
「と、言いたいところですが、やはりあの程度の代物ではここが限界のようですね。時間切れです」
「え…」
 触れていた指も、見下ろす顔も、一瞬で茨へと姿を変える。いばらの王子いた場所には色を失い、窓から吹き込む風にカサカサと乾いた音を立てる花と蔓だけが残された。
「っ王子、王子!?」
 時間切れ。実体化出来る時間が過ぎてしまったのだ。今まで何度もこの光景を見てきたから、どういうことなのかは理解出来る。
 力が抜けてしゃがみ込んで、朽ちた花弁を掬い上げた。
「ごめんなさい…、王子…!私、会えて嬉しかった…!それは本当なの…」
 しゃくりあげながら、もっと早くに告げるべきだった言葉を口にする。それなのに欲張りを言ってしまって、伝えることすら出来なかった。
 枯れた薔薇に朝露のように涙が光るが、再び花が潤うことはない。
「おや、久しぶりだったので、つい、加減を誤ってしまったようですね」
 急に背後から声がして、強引に温もりに引き寄せられた。視界が一変して、芳しい薔薇の香りに包まれる。
「…お、うじ?」
「ええ、そうですよ、ヘンリエッタ。貴方があれほど泣いて会いたいと願っていた、本当の私です。
 それと私以外のものに心奪われるなと先程も言ったでしょう。もう三度目です」
 次はありませんよ。耳元で、唇が触れるか触れないかの近さで囁いて、その手の中の薔薇を奪って握りつぶす。元々彼女に本音を言わせるための、もとい彼女を虐めるための小道具だ。目的が達せられた今、いつまでも少女が気を取られているのは不本意だ。朽ちた薔薇は乾いた音を立て粉々になり、床へと落ちていく。が、そんなものにもとより興味はない。
 泣きながらも驚きに目を丸くする腕の中の少女。少々やり過ぎたかと思いもしたが、今現在自分は非常に満足しているので良いことにする。
 頬を拭ってやると掌に温もりが伝わる。それに満たされながら、何の前触れもなく意識が途切れた。
「王子、眠っちゃったの?」
 温かい手で涙を拭いてくれた王子は、肩に頭を預けて安らかな寝息を立てている。これもいつものことだ。王子は突然にスイッチが切れたように眠りに就くので慌てることではない。
 それでも一体なんなの、とか、重いわ、とか…言いたいことは沢山ある。だけれど王子の言葉と、自身を抱くこの腕の熱と、圧し掛かる重さを信じるのなら、  いや、疑う余地はない、重い。心から会いたいと願ったからこそ確信を持って言える。本物の王子だ。
「ねぇ、王子。会えてとっても嬉しいわ。それに、大好き」
 王子の頭が落ちてしまわないように腕で支えながら、眠れる王子様の頬にキスを落とした。


「何です、物言いたげな顔をして。言っておきますが、下らない質問には答えませんよ」
「どうやってここまで来たの?」
「予想通り下らない質問ですね…まぁ、いいでしょう。
 この一年私は貴方と会えるよう、色々と根回しをしていたんですよ。その一環でとある落ちこぼれの魔法使いを屈服させるという縁がありまして。その魔法使いにここまで送らせたのです。
 …あのような者のことは捨て置きましょう。他には何か?」
「じゃあ、なんであんなことしたの?王子がいなくなってすっごく悲しかったんだから」
「勿論、貴方のそんな反応を楽しむために決まっています。…ほんの少し泣かせすぎたようですが。
 一年というブランクもありますし、仕方ありませんね」
「少しどころじゃないわ!いくらなんでもやりすぎよ!!」
「ふふ、とても面白かったですし、何より可愛らしかったですよ。それに免じて今日は…優しくしてあげますよ、ヘンリエッタ」


 …王子はもう今日はいじめないと言っていますが、王子は天性のドSなので無理だと思います。
 そして名前も出てこないけれど、裏で可哀相な目にあっているらしい13番目の彼…

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